2026年9月19日/参加記/パフォーマンスラボ
中村豊さんの「パフォーマンスラボ」第4回に参加しました
今回のラボセッションでは、「リカバリー」が主題として取り上げられました。
リカバリーと聞くと「回復する」「休む」といったイメージが浮かびやすいですが、その概念が、私の中で一段広がったものへと刷新されました。
というのも、私はリカバリーにどこか静的で「止まった」印象を抱いていました。しかし今回のセッションを聞いて、リカバリーは動的な流れの中のひとつのリズム、結節点として位置づけたほうが、より本質に近づけるのではないかと考えるに至りました。
リカバリーとは単に休むことではなく、「次に備える」という意味合いが強いのだと学べたことが、今回の大きな収穫でした。
回復のためには、低強度の動きを伴うストレッチやジョギングなどで循環器系をめぐらせ、疲労物質を抜いていくようなアプローチもあります。そうした意味合いも含めて、ただ寝る、動かない、虚脱する、だらしなくなる、といった極に振れるのではなく、次のアクションをよりスムーズに運ぶための「充電」のような感覚なのだと思います。
瞑想のときに、ただ横になって呼吸に集中しようとしても、だんだん眠気が出てきて、姿勢にほどよい張りがなくなってしまうことがあります。それと同じように、芯の抜けた状態(姿勢)ではなく、常に緩やかなONの状態で休むほうが、めぐりのリズムとしては良いのではないかと思いました。
「強い選手は切り替えがうまい」という表現は、聞き馴染みのある言葉かもしれません。ですが、0から100へ切り替えているのではなく、常に動ける状態でスタンバイしておく、その構え方・調整の仕方が優れているのだと思います。
そこには、知識や論文といった話ではなく、自分の身体感覚が優れていることが必要なはずです。「ハードな練習の後だから休まないといけない」「きっと今は疲労しているはずだから、こうするべきだ」という頭・思考での判断よりも、体の声としての判断のほうが重要になります。
そして、その判断をするうえで「規則性」が最も鍵を握ると感じました。
ある人はこれを継続性と呼ぶかもしれませんが、つまるところ「一貫した何か」です。私は「規則性」という言葉に、2種類の側面を感じ取りました。
一つは、この規則性が身体・生活・パフォーマンスの土台となり、足場として機能しうるということです。
もう一つは、規則性がある程度の規則性であり続けることによって、「いつもの自分」がわかるということです。特にこちらについては、いつもの食事、いつもの睡眠、いつもの身体感覚、いつもの人との関わりがあるからこそ、そのパターンへの自覚が芽生えるのではないか、という見方です。同じことを繰り返していくことで初めて、自分が行っている行為や取り組み、それに伴う身体感覚の「輪郭」が、おぼろげながら浮かび上がってくるのではないでしょうか。
つまり、規則性があるからこそ変化が見えてきます。そして、規則性を持つからこそ、介入すべき場所、テコをかけるポイントがわかるのかもしれません。そういう話です。
さて、とはいえ、この規則性に「固着」してしまうと、その瞬間の状態にフィットした自分の身体感覚をないがしろにしてしまうリスクもあるのではないかと思います。
規則性を持つ → 変化の土台が生まれる → 変化が生まれる → 介入の場所がわかる → 逆に、今は不要なものにも気づく → 再び規則性が土台になる
という「めぐり」が生まれます。この循環が止まらないことが大切であり、一言にまとめれば、「継続性」という言葉に尽きるのだと思います。
そして、破壊と創造を繰り返し続ける営みの中で、変化の兆しや成長のきっかけをつかんでいくのだろうと思います。部分ではなく、動的な全体をシステムとして捉えることの重要性とも言えるでしょう。
ふと、映像作品を見ていたときに「よいリーダーは自己認識ができる」という言葉が目に入りました。きっとこの言葉も、自分自身が高いパフォーマンスを発揮したいという想いのアンテナが、ほどよく立っていたから引っかかったのだと思います。そうやって、私たちは自分自身のセルフリーダーであることが重要なのかもしれません。
